2004年のレッズ
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
- <1月>
- 2004/1/4 達也の結婚披露宴
田中達也の結婚披露宴がレッズ公式サイトに掲出される。公式サイトに夫人とのツーショットを掲出した伸二と異なり、写真は達也のみ。
- 2004/1/3 福田が今年のレッズを語る
「SSR Supporter's Page」さんの、「ギドには一切期待せず 2004.1.4」の記事は1月3日に某ショッピングモールで開催された 『福田正博&上野晃 トークショー』の報告。
伸二についてのコメントは
「小野伸二は別にオランダにいる必要はないそうですが、伸二が30歳を超えた頃、福田監督率いる浦和レッズに戻って来て、その際に優秀な外国人選手3人とコーチを 連れて来るために、今敢えてヨーロッパで活動をしているそうです」。
なんか、本音かも、という感じあり。
「なお、福田監督就任には、山田暢久が現役を引退していることが絶対条件だそうです。
理由は『やりにくいから』。
チームの中心には『扱い易い』坪井慶介とヨーロッパから戻った小野伸二を据えるとのこと」というのは笑いを獲ろうとしただけと信じたい。
ポイントは次。
「さて、気になる今年の浦和レッズについてですが、
ブッフバルト新監督には全く期待していないとのことです。
この辺りではそれまでのお笑いムードはすっかり消え、真面目な顔で言っていました。
『だって、今までベンチに全く座ったことがない人なんですよ。どんな戦術でどう戦っていくのか、全然わからないじゃないですか。W杯予選やオリンピックなどで、主力選手が沢山抜ける中で、経験豊富な監督だって厳しいチーム運営を迫られるんですから。』」
まさに危惧しているとおりのことを語ってくれたが、でも、ギド(とエンゲルスのコンビ)を信じてる。
- 2004/1/6 坪井慶介の挙式と結婚披露宴
昨年7月31日に入籍していた坪井夫妻の挙式と結婚披露宴が6日に行われたと公式サイトが発表。2次会で坪井がかつらをかぶった写真は掲出されているが夫人の写真はなし。そのコメントは「6年ぶりの長髪です」。
- 2004/1/7 西部が清水へレンタル移籍
西部の清水へのレンタル移籍が発表になった。
- 2004/1/11 山岸が挙式・結婚披露宴
クラブ公式サイトに山岸が11日に結婚披露宴を行ったことが掲出された。
- 2004/1/27 ギドの記者会見
代表に選手を獲られる影響を聞かれて、「彼らが戸惑わないよう、昨年の3-5-2システムを踏襲するつもり」と。
- 2004/1/30 杉山がフロントとしてレッズに戻る
公式サイトが「94年〜98年までレッズに在籍し、……していた杉山弘一選手が現役を引退し、浦和レッズ普及グループ・ハートフルクラブのコーチに就任することになりました」と伝える。
実直そうに左サイドを走り続ける姿が印象的な選手。ヴェルディに移籍したときに、チャリティーオークションで出品したレッズ時代のベンチコートが訪れたレッズサポーターによって5万円で落札されたとの記事があった。
- <2月>
- 2004/2/1 レッズフェスタ
ギド様の信仰者と岡野崇拝者とスーパーサッカーの収録目当てと日本代表フリークと色々な要因が考えられるが史上最高の2万4千人が集まる。岡野への声援は予想通りだったが、トゥーリオへの声援は予想以上。
- 2004/2/7 代表の親善試合。対マレーシア戦
暢久が代表初ゴール。三都主、坪井も先発出場。都築交替出場。
- 2004/2/8 U23の親善試合。対イラン戦
山瀬が出色の出来。日本の1点は山瀬→達也のホットラインの賜物。負傷退場の達也は大丈夫か。闘莉王の上がりもなかなか。啓太の運動量も良い。
- 2004/2/8 大原の練習風景
代表8人+小林が不在で、ニキはジョギングだけ。フィールドプレーヤーは4組に分かれて、GK付きのミニゲーム。待機中の選手はGKも含めてゲーム時間中のランニング。
エメは最終ラインから組み立てる役をする。何か消極的な感じ。エメ組の2セットが終わったときに、ギドが両腿を触りながら何かをエメに言う。身振りでは、ジョギングでもしていろという感じ。エメは振り向いて歩き出す。ギドが何か言う。振り向いたエメは片手を上げて何か言う。「別に反抗しているわけではないんだ」という感じ。エメの代わりにビブスの12番(横山?)が続けてゲームをする。エメはゆっくりコートの周りを歩いて回っている。次のセットでも12番がゲームをして、エメは待機組のジョギングに参加。その次のセットには参加して積極的なプレーを披露。ギド様はエメを特別扱いしない姿勢のようだ。
ゲームが終了した選手を指して、ギド様がエンゲルスコーチに何か言っている。そしてギド様はゲームを監督しに戻り、残ったエンゲルスが何事かを3ゲーム続けた12番に言う。なるほど、選手との意思疎通、精神的フォローアップのためには良い方法かも。
途中で帰ったが、見た限りで印象に残ったのは、南の動き、唯一の短パンだった西村の積極性、アップの練習で見せた堀之内のプレーの正確さ。
- 2004/2/11 U23の親善試合。対ロシア・フル代表
啓太と闘莉王はフル出場。闘莉王は積極的な攻撃を見せる。達也は最後に交代で出場。
- 2004/2/12 代表親善試合。対イラク戦
山田、坪井、三都主はフル出場。坪井はミス多し。次は先発を外れるのではないか。山田は上がること多し。三都主はたまの上がりで1アシスト1ゴールと結果を出す。小野は次のオマーン戦の招集もなし。
- 2004/2/15 アデレード合宿中の練習試合。対アデレード・ブルーイーグルス
相手はオーストラリア2部リーグ。先発は、GK山岸、DF平川、闘莉王(リベロ)、室井、DH永井(右)、鈴木(中)、酒井(中)、長谷部(左)、OH山瀬(トップ下)、FW田中、梅田。1分に梅田、29分に達也がゴールして、46分に永井→岡野(右H)。47分に達也、68分に闘莉王(PK)がゴールして69分に闘莉王→内舘。75分に鈴木→西村、山瀬→三上(左H。長谷部がOHへ)、田中→横山。要するにU23代表不在時のシュミレーション。82分に横山、87分に長谷部がゴール。
長谷部を左Hとして使ったということは、ボランチとしての能力について、長谷部より酒井を評価しているということのようだ。守備能力では長谷部より酒井の方が上と思われ、パスの精度では内舘より酒井が上と思われ、ボランチ酒井は不動の模様。
- 2004/2/18 ドイツW杯予選第1戦:対オマーン
三都主のほか、病み上がりの暢久、前回の試合でミスを連発した坪井もフル出場。ゲームはなんとかロスタイムに、こぼれたボールを蹴りこんで勝ち点3。
- 2004/2/18 アデレード合宿練習試合 対アデレード・ギャラクシー
相手はオーストラリア2部リーグ。先発は、GK徳重、DF中川、内舘(中)、南、MF新井(右)、堀之内(ボ)、西村(ボ)、三上(左)、FW岡野、横山、千島、の3−4−3。30分に岡野が得点で前半終了。46分に徳重→加藤、で60分に横山がゴール。63分に岡野→平川で、69分に西村、72分に堀之内がゴール。73分中川→細貝(前橋育英高校・練習生)。結局、終了時は、GK加藤、DF細貝、内舘、南、DH平川、堀之内、西村、三上、OH新井、FW横山、千島、って3−4−1−2。
- 2004/2/21 U23親善試合。対韓国
啓太と闘莉王はフル、達也は後半30分頃まで、山瀬は前半のみ。
山瀬は消えていること多く、後半出場した松井の方が良い印象を与えたが、翌日の日経は「DFの裏をつくのが持ち味の山瀬だが、前半は山瀬が動いて空けた空間を生かせなかった」との評。
達也は素晴らしい動きを示すが、GKとの1対1を決められず。
啓太は獅子奮迅の運動量を示すが、パスの精度は従来どおり。
闘莉王は「闘莉王、来たー」というアナウンサーの声が印象に残る。
- 2004/2/21 アデレード合宿で3ボランチを試す
A代表を加えた初の試合となる22日の練習試合に備えた21日の練習では、初めて3ボランチを試した模様。GK都築、DF堀之内、内舘、室井、3ボランチは右山田、中央酒井、左平川、トップ下に長谷部、右W岡野、左W三都主、CFエメルソン。
- 2004/2/22 アデレード合宿で練習試合。対アデレードユナイテッド
練習試合だが相手はオーストラリア1部リーグ3位。有料試合で4:0の勝利。ただし相手は20日に公式戦があってすぐで、主力は5人だけ。
先発は、GK都築、DF室井、内舘、堀之内、DH山田、酒井、平川、OH岡野、長谷部、三都主、FWエメルソンの3−3−3−1。三都主の攻撃力を活かす(守備力のマイナスを軽減する)布陣。
25分に山田のクロスに反応した長谷部がゴールで前半終了。後半は相手が3トップにしたため山田を下げ気味に対応。46分に堀之内→南で、47分、51分、56分にエメルソンがゴール。65分にエメルソン→横山、山田→西村、75分に三都主→三上、80分に長谷部→千島で、終了時はGK都築、DF室井、内舘、南、DH西村、酒井、平川、OH岡野、千島、三上、FW横山。
- 2004/2/25 アデレード合宿の練習試合。対オーストラリア選抜
先発はGK都築、DF室井、堀之内、南、DH山田、酒井、平川、OH岡野、長谷部、三都主、FWエメルソン。前半は0対0。46分に都築→山岸、岡野→永井で、53分に、左スペースゴールラインいっぱいでボールを奪取した平川からエメルソン、三都主、山田、エメルソンとボールが繋がってゴール、60分にエメルソンがゴール。63分に長谷部→横山、山田→西村、77分に三都主→三上、82分に室井→中川、酒井→細貝、平川→新井。結果は浦和2−0南豪州選抜。
監督は、システムを3−5−1−1と語っているらしい。
大野さんのレポートによると「選手たちは口々に「守備についてなにも指示がない」と語っている」とか。
- <3月>
- 2004/3/1 五輪最終予選。対バーレーン戦
啓太、闘莉王はフル出場、達也は最後のパワープレーのために交代、山瀬は後半途中から出場。
試合としては、体調の調整に失敗したのか、と思えるほどの体の切れの無さ、でこぼこでパスを減勢させる芝、ラフプレーに寛容な審判が印象に残った。啓太は汗だらだらできつそうだった。ハーフタイムで交替かと思ったが、交替せず、むしろ、後半のほうが体調良さそうだった。相手がしっかりと守ってスペースが無く、闘莉王がドリブルで前へ突進していくプレー無し。山瀬は、未だ本来の姿を取り戻せず、シュートがミートしない。達也は、後ろからのファウルに寛容な審判のために前半は仕事にならず、間延びした後半は仕事をする。
- 2004/3/3 五輪最終予選。対レバノン戦
後半途中で交替したものの、先発の達也の動きは素晴らしく、2アシスト1ゴールの活躍。テレビ画面では最もアップになっていた。フル出場で1ゴールの啓太は、素晴らしい運動量とロングパスのたまの正確さに驚かされ、時折のミスパスで不安にさせるのはいつもどおり。開始早々に闘莉王がヘディングの後、肩から落ちて痛める。一時は脱臼とも報じられるほどの打撲だったが、出続ける。闘志は驚異的。山瀬はお休み。
- 2004/3/4 さいしんカップ。対ヴァンフォーレ甲府戦
出勤途中のローソンでチケットを購入したが、残業で試合開始に間に合わず、近くのパブを探してテレビ埼玉にしてもらって観戦。
昨年は、無駄走りを許さない体力温存サッカーだったが、今年は相手を疲れさせるサッカー。3−3−3−1で、DF3人はマンマーク。攻撃時にはセンターサークル付近に3人が固まっていて、抜け出されたときには坪井が対応する。つまり、坪井がいないときは、平川がストッパーになる布陣。DHの3人は、左右のポジションチェンジは無いが、最前線まで顔を出すことを奨励されている感じ。OH3人は左右のポジションチェンジを頻繁に行う。ただし、真ん中の長谷部がサイドに出ることは無い。守備時には、ボールと逆サイドのOHは下がってスペースをケアするというのがお約束のようだ。
いずれにせよ、面白そう。スタジアムの最上段から観て面白いサッカー。攻撃の選択肢が増えていくサッカーは、最初は困難だろうが、なんとか熟成させてほしい。
- 2004/3/5 五輪最終予選。対UAE
1日おきの連戦の3試合目で疲れのために両チームとも小さなミスがありゲームとしては残念な試合。両チームが、良いコンディションで戦っていれば、という想いは残る。しかし、そうであったら、日本は負けていた可能性が高い。それほどUAEは個々の選手の能力が高い良いチームだ。日本にとっての幸運は、3−4−1−2で最も運動量が必要なトップ下に二人の人材を抱えていること。それでも疲労は隠せない。山瀬−達也のホットラインも微妙なずれが生じていた。
前半は守備的にいくというゲームプランだったと報じられている。その意味で、先発した山瀬は後半途中で交替したが、しっかりと仕事をした。
達也は、良い。フル出場で1アシスト?、1ゴール。フル代表が見えてきた。
運動量の多い啓太も、DF真ん中で頑張った闘莉王もフル出場。
- 2004/3/8 五輪最終予選日本ラウンド代表決定。浦和から4人
闘莉王、啓太、山瀬、達也はUAEラウンドに引き続いて選出される。ただ、市原の阿部が怪我から復帰してきたので、啓太、山瀬には何らかの影響があるかも。
- 2004/3/14 U23対バーレーン
日曜日の埼玉スタジアムは満員にならず。TVで観ているとバックのアッパーはガラガラ。
先発した闘莉王は前半途中で肉離れで交替。啓太も1点のビハインドで後半に松井と交替。達也はフル出場するが山瀬は出番無し。
- 2004/3/16 U23 対レバノン
埼玉スタジアムが空いていたので、出勤途上にローソンでチェックしたらカテゴリー4と3は取れず、2が取れて観に行く。
レッズの選手は先発無し。それでも、選手紹介では、大久保、平山とともに、レッズの選手にひときわ大きな歓声が上がったと思ったのは気のせいか。啓太もワンボランチになって、キャプテンマークは阿部。後半に同点にされてから達也が出場する。直後に大久保のヘッドによる得点が生まれる。大久保の前で達也もジャンプしていた。
肉離れを押して出場した闘莉王。試合後にも挨拶に出てきて、コールを受けていた。テレビでもよくアップになっている。
- 2004/3/18 U23五輪最終予選最終戦 対UAE
職場近くのビアバーで観た。3点目が入った時点で予選通過を確信して帰宅。出迎えた連れ合いは不思議そうで、3点目が入った時点で帰途についたことを告げる。
3トップで達也がフル出場。レバノン戦で出場しなかった啓太も、累積警告を懸念しての温存だったようで、フル出場。
- 2004/3/19 Wカップ予選 シンガポール戦日本代表発表
無断外出のキャバクラ・セブンに加えて、短時間ではあるが無断外出の暢久も招集の対象外とされる。伸二は久しぶりに選ばれる。
- 2004/3/31 Wカップ予選 シンガポール戦に坪井と三都主がフル出場
それぞれ好調を維持
- <4月>
- 2004/4/10 ハーフタイムショー
10日の試合ではハーフタイムショーがあった。ラッセル・ワトソン氏、なかなかの声。ちょっとCD欲しくなったりした。
ショーが終わって氏が退場するときに、拍手とともにクルヴァからアップテンポの「ウイ・アー・ダイヤモンズ」。おしゃれ。あなた方は私の誇りです。
節約モードでMDPを買わなかったことに悔いが残る。どうも、なぜ「寝てはならぬ」だったのか書いてあったようだ。
- 2004/4/18 沈黙の駒場2
伝説に聞く「沈黙の駒場」はああいう雰囲気だったのだろうか。18日の大分戦は沈黙の駒場2。愚かにも気付いたのは選手紹介のとき。近くで、ギドにブーイングする人がいてびっくり。ふーん。15分で3点取ったのにひっくり返されたゲームを忘れているのかしらと思うが、たぶん、あの次の試合でも監督にブーイングしていた人なんだろう。そう思いたい。
ダンマク無しの不思議な雰囲気。1試合ごとにダンマクを作っている「負けへんで」も迷っていたようだったが、結局、掲出せず。それでも、4点目だったか、バックスタンドの一部で「浦和レッズコール」。
クルヴァの面々は試合を凝視し続ける。お見事。演出もおしゃれで、試合開始前にはクルヴァ前に「The PRIDE OF URAWA」のダンマク。試合中は、そのダンマクをバック2階席の後ろに張り、試合終了時には、また、クルヴァ前に建てる。おしゃれ。意図は十分に伝わったはず。そう信じたい。
個々人の力量差を信じすぎたが故の失点ということで、もうあんなことが無いよう暢久には確変してほしい。
- 2004/4/21 U23 対ギリシャU23
達也と啓太は前半出場。達也が1得点。山瀬が後半12分から出場。シュート打つも駄目。放送が残り2分で中止。
- 2004/4/24 U23 対ギリシャ選抜
達也は前半出場で1得点1アシスト。山瀬は後半から出場。啓太はラストに出場。
- 2004/4/25 代表 対ハンガリー代表
三都主と坪井がフル出場。三都主は、後半途中からキャプテンマーク。終了間際のPKに抗議してイエローを貰う。坪井は競っていた相手にHSを決められる。
- <5月>
- 2004/5/26 U23 対トルコ選抜
選ばれていた達也は怪我で離脱。闘莉王が前半のみの出場で力を発揮。山瀬は終盤投入されそうだったが、追い付いたために温存。啓太はベンチ。
- 2004/5/30 フル代表 対アイスランド
坪井は3バックの右、三都主が左サイドで先発出場。ハーフタイムで4バックになり坪井が退場、三都主が左サイドバック。三都主は3点目のPKを蹴る。
試合途中で坪井はジーコ監督から、前が空いていたらドリブルしてセンターラインを超えてからパスを出すように、と注意され、直ちに、プレーに反映させた。
- <6月>
- 2004/6/1 U23 対U23マリ
山瀬と啓太が先発出場(達也と闘莉王は負傷辞退)。山瀬は前半のみ。啓太はキャプテンマークで頑張っていたが後半途中、攻撃モードシフトで交代。悔しそうな表情を見せる。
- 2004/6/9 A代表 W杯一次予選 対インド
試合は7対0で圧勝。伸二は後半途中まで出場し、存在感を示す。坪井はまあまあ。三都主は一点目をアシスト。
- <7月>
- 2004/7/3 JOMOオールスター
エメと坪井は治療のために出場辞退。達也と闘莉王が先発して後半途中まで。達也がGKと1対1になったときに、逆サイドの闘莉王に出さずにシュートしてGKに阻まれる。怒る闘莉王。
- 2004/7/9 A代表 対スロバキア代表
坪井が2番で、三都主が14番で先発出場。しかし後半開始早々に坪井は後ろからぶつかられて足を痛める。左ふくらはぎの痛みで肉離れの可能性。三都主は81分までプレイ。
- 2004/7/13 坪井は出術
オフィシャルの発表によれば、9日の代表の試合で負傷した坪井は「クラブで再度、精密検査を行った結果、「左ハムストリングの腱及び筋肉の断裂」と判明」したとのこと。明後日にでも入院して手術とか。
サイトによっては、今年は無理なのではないか、という悲観論も出ている。うぅっ。
- 2004/7/13 A代表 対セルビア・モンテネグロ代表
相手はスロバキアと戦って中1日。それでも実力は相手が上と思わせる。三都主がフル出場。前日に知らされた祖母の4日前の死で試合後に涙を流す。
- 2004/7/14 五輪代表候補 対チュニジア五輪代表
16日の発表を前にした生き残りテスト。啓太はフル出場。闘莉王は前半のみの出場。後半途中から達也が左ウィングで、遅れて山瀬がトップ下で出場。山瀬は光を取り戻しつつある。
- 2004/7/16 五輪代表発表
達也、闘莉王、伸二が選ばれる。啓太、山瀬は落選。伸二とともにプレーすることを夢見ていた啓太の落胆はいかばかりか。闘莉王の発案で達也が山瀬の、闘莉王が啓太のユニを着て記者会見。笑顔無し。
- 2004/7/20 AFCアジアカップ 中国2004 予選リーグ第1戦 対オマーン
三都主がフル出場。1対0の辛勝。
- 2004/7/21 五輪代表強化試合 対韓国五輪代表
韓国はソンが不在だが、強力メンバーで0対0の引き分けは立派。伸二はクラブだが、達也と闘莉王が先発出場。達也は後半途中まで出場だが安全運転の感じ。
- 2004/7/24 AFCアジアカップ 中国2004 予選リーグ第1戦 対タイ
三都主がフル出場。試合は、反日煽動家の呼び掛け集まった5千人の反日市民により国歌斉唱のときからブーイングが起きるなど異様な雰囲気で行われた。
- 2004/7/25 五輪代表強化試合 対オーストラリア五輪代表
闘莉王がフル出場。達也は後半途中から出場。闘莉王はたびたびの攻撃参加が相手にボールを奪われてピンチを招いたり、自ら望んだロングのFKがヒットしなかったり、で残念。達也もシュートが枠に行かず残念。
- 2004/7/28 AFCアジアカップ 中国2004 予選リーグ第1戦 対イラン
三都主がフル出場。テレビ観戦。
- 2004/7/30 五輪代表壮行試合 対ベネズエラA代表
達也好きの連れ合いが見たいというので、帰宅途中に一緒に観戦。達也は後半途中から出場して1得点、1アシスト。立派なものだ。フル出場した闘莉王は相手ともめるシーンあり。印象的だったのは、試合後の選手の場内一周途中で起こった「オノ・シンジ・オーレ」コール。
- 2004/7/31 AFCアジアカップ 中国2004 準々決勝 対ヨルダン
予選リーグの韓国戦を見て、GKがワールドクラスで驚いた。この準々決勝が事実上の決勝戦と思ってみていた。1対1でPK戦になり、失敗した俊輔に続いてやはりレフティの三都主が失敗する。キャプテン宮本が主審に申し入れて逆サイドのゴールを使用することになるが、なんとか食い止め、逆転して勝利。
- <8月>
- 2004/8/3 AFCアジアカップ 中国2004 準決勝 対バーレーン
前半で10人になり、試合終了間際に2対3から三都主のアシストで同点に追い付き、シルバーゴール方式の延長戦で勝ち越すという劇的な試合。
- 2004/8/7 AFCアジアカップ 中国2004 決勝 対中国
圧倒的なブーイングの中、3対1で勝利。
- 2004/8/12 アテネ・オリンピック2004 男子サッカー 予選リーグB組 対パラグアイ
闘莉王はフル出場。左からの伸二のコーナーをフリーでヘディングするが決められず。達也は後半途中からの出場で、1アシスト。
- 2004/8/15 アテネ・オリンピック2004 男子サッカー 予選リーグB組 対イタリア
闘莉王はフル出場。達也は後半からの出場。
- 2004/8/18 A代表 キリン・チャレンジ・カップ 対アルゼンチン1.7軍
三都主がフル出場。前半は3バックの左ハーフ、後半は4バックの左SB。まだ、持ちすぎの傾向は直らず。でも、素晴らしいCKで1アシスト。
- 2004/8/18 アテネ・オリンピック2004 男子サッカー 予選リーグB組 対ガーナ
闘莉王はフル出場。達也は後半途中から出場。二人とも頑張っていた。
- 2004/8/31 ネネ(背番号33)を獲得
ファビオ・カミーリョ・デ・ブリト(Fabio Camillo de Brito)
登録名:ネネ(NENE)
契約期間は2004年9月1日から2005年1月1日までです
坪井の代役と言うことで快速の触れ込み
- <9月>
- 2004/9/5 ユースの大山俊輔選手をトップ登録(背番号34)
シーズン中への昇格を淡々とするところが普通のクラブになった証といえるだろう。
- 2004/9/7 梅田をモンテディオ山形に期限付き移籍
えっ、と思った。ギドの希望で取った背の高いフォワードだったが。横山の方がよいということか。
- 2004/9/8 A代表 W杯一次予選 対インド(インドのコルカタ)
試合は4対0で圧勝。伸二と三都主はフル出場。三都主は、相手DKが弾いて1点目のきっかけとなったシュート。伸二は直接決まった2点目のFK。
- 2004/9/19 ギドの父上が逝去される
ギドは23日から25日まで一時帰国して23日の試合はエンゲルス・コーチが指揮。ギドは父上の体調不良で14日から17日まで一時帰国しており、その際が今生の別れとなった。チームは23日の試合に喪章を付けて臨んだ。
- 2004/9/27 山瀬の手術が無事終了
18日の新潟戦で左膝前十字靭帯を負傷した山瀬は腫れが引くのを待って27日に再建術の手術。無事終了して数週間の入院後、大原Gでリハビリを開始する予定。
- <10月>
- 2004/10/9 ナビスコカップ準決勝が台風で延期
台風22号が接近し、試合時点で名古屋にある可能性が45%ということで、試合前日の夕刻には延期が決定される。早い決定に拍手だが、11日には休日出勤で行けず、残念。
- 2004/10/13 W杯一次予選オマーン戦に三都主出場
試合は1対0で勝利。
- <11月>
- 2004/11/17 W杯一次予選シンガポール戦に三都主ベンチ入り
突破が決まっている消化試合。レッズの優勝争いもあってか、三都主は出場せず。
- <12月>
- 2004/12/13 Jリーグアウォーズで闘莉王、長谷部、エメがベスト11に
クラブがJoin賞(アウェイゲーム観客数第1位)、得点王にエメ(27ゴール)、ベストイレブンに闘莉王、長谷部、エメ。
- 2004/12/16 日本代表ドイツ戦に三都主
三都主は先発して83分間出場。試合は本調子ではないという声もあるドイツに0対3で完敗。
- 2004/12/21 日本代表に三都主と坪井
2005年の1月29日(土)vsカザフスタン代表と2月 2日(水)vsシリア代表の日本代表になる。
- 2004/12/26 三都主アレサンドロ選手結婚披露宴
昨年12月12日に入籍していた三都主が静岡県内での結婚披露宴。浦和レッズからは坪井、岡野、内舘、室井、長谷部、小林、千島らが参加。
- 2004/12/27 2004年最終練習
翌日の新聞に山瀬が「他のチームの自分に対する評価を聞きたい」とクラブに要求していることが報じられる。2チャンネルのレッズ本スレでは代理人の狙いとして、「まずこの時期にあえて移籍志願をマスコミにリークする。そして一月末までに交渉がまとまらない方向に持っていく。山瀬側は妥協する気がないから結局はデキレース。そしてそのままレッズの拘束が切れる二月になったら影であらかじめ交渉していたチームと契約する。そうすれば移籍チームは移籍金かからなくてウマー(・∀・)代理人は移籍チームから移籍金の報酬以上の成功報酬もらえてウマー(・∀・)」という解説が流された模様。
私事
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