2002年シーズン


☆リーグ戦 ディヴィジョン1 ファースト・ステージ 11位(90分3勝V2勝1分V2敗90分7敗。勝ち点14)
×横×FC×清△ガ○広□仙■Ve■磐□札○柏×京○神×鹿×名×市
☆リーグ戦 ディヴィジョン1 セカンド・ステージ 8位
□広□仙○磐△柏○札□清○神○京□名×鹿■Ve×市×ガ■FC×横
☆ナビスコカップ(J1カップ戦) 予選リーグ 2位(通過)
○名○鹿△広○広○鹿×名
☆ナビスコカップ(J1カップ戦) 決勝トーナメント 準優勝
準々:○柏→準決:□ガ→決勝:×鹿
☆第82回天皇杯 3回戦敗退
3回戦:福岡


 クラブとしては、初めてプロクラブらしい体制へ移行した。プロ制度発足から10年の蓄積であろう。陣容も、犬飼社長(6月昇任)、森GM(13年12月強化本部長就任)、オフト監督と、自分の言葉でヴィジョンを語れる陣容がそろった。
 クラブとして、これまでの監督交代劇を反省し、オフト監督に対しては3年で優勝できるチームにすることを求めるとともに、サポーターに対しても3年間(翌年に犬飼社長はサポーターの意を汲んで2年に短縮することを求めた)の辛抱を求めた。フィジコのフラビオコーチが退団し、ブラジル色は選手のみとなる。
 基礎練習が多く、戦術的には「追い越し禁止のオールコートマンマーク」で観客的にはつまらないゲーム。シーズン後半からは受け渡しマンマークとなり、失敗もあるものの、中盤のエネルギーがゲーム終盤まで保てるようになり、守備のミスが減るとともに、終盤の攻撃力に期待が持てるようになった。
 スタメンは、外国人のFWとトップ下、オフトが代表監督時代の日本代表であった福田(ボランチ)と井原(スイーパー)、ジーコによって日本代表に選ばれる暢久(右サイド)と坪井(ストッパー)、GKの山岸(W杯前までは西部)は固定されていたが、監督が選手の能力を見極めようとしていたためか、ほかは流動的だった。DFに不安を覚え、本職の室井、池田学を差し置いて内舘を起用していたオフトのために、8月には、活躍していたアリソン(神戸へ移籍し活躍したが、2003年8月にはビスマルクに追われてガンバへ移籍)を放出してまでDFのゼリッチを獲得した。
 成績的には、エメ、トゥット、永井、田中達也の快速FWとトップ下のアリソン+福田で強力な攻撃力を形成し、特に、後半は、ナビスコカップは決勝進出、セカンドステージは第9節まで負けなしの快進撃を見せた。伝説の「負けないよ!」の年である。セカンド第6節からの3トップ(エメ、トゥット、永井)は強力な破壊力を有したが、研究されて対策(両サイドのFWに出たら縦の突破だけを警戒して2人以上で囲む。)を講じられると10月23日以降は年内8試合勝ち点無しでシーズンを終える。
 この年は、福田と井原が最後の花を咲かせた年でもある。二人はこのシーズンを最後に退団・引退し、いずれも翌年にヴェルディの北沢とともにサッカーの楽しさを伝えるJFAアンバサダーの初年度に任命される。
 退団者はこの二人だけではなく、多くの者が戦力外通告を受けて去った。安藤(大宮へ完全)、河合竜二(横)、路木(神戸。直後に退団)、トゥット(清水。エジムンド入団のための移籍)、石井(仙台)、池田学(湘南)、吉野(湘南へ完全)、田畑(札幌)、岡野(神戸へ完全)、早川(横浜FC)、渡辺隆正(レッズ育成?部門)。
 なお、坪井が日本プロスポーツ大賞新人賞を受賞した。


03/03 × 1st 1 横浜M 横浜国 0:1 10位


03/09 × 1st 2 F東京 埼玉ス 0:1 11位


03/16 × 1st 3 清水エ 日本平 1:2 14位


03/31 △ 1st 4 ガ大阪 万博記 2:2 14位


04/07 ○ 1st 5 サ広島 駒場ス 4:1 12位


04/14 □ 1st 6 ベ仙台 宮城県 2:1 10位


04/20 ■ 1st 7 東京V 東京ス 1:2 13位


04/27 ○ N予 1 名古屋 瑞穂陸 2:0


04/30 ○ N予 2 鹿島ア 駒場ス 3:2


05/03 △ N予 3 サ広島 広島ビ 0:0


05/06 ○ N予 4 サ広島 駒場ス 3:1


05/09 ○ N予 5 鹿島ア 笠 松 3:2


05/12 × N予 6 名古屋 駒場ス 1:5 予選通過


07/13 ■ 1st 8 J磐田 埼玉ス 2:3 


07/20 □ 1st 9 コ札幌 国立競 2:1 


07/24 ○ 1st10 柏レイ 国立競 2:1 


07/27 × 1st11 京都パ 駒場ス 1:3 


08/04 ○ 1st12 ヴ神戸 神戸ユ 2:0 10 位

右に入った平川からのクロスが再三再四、好機を演出。
Sub:西部、室井、石井、阿部、永井[山田、エメは出場停止]
田中から福田へパス→福田OUT(石井)→平川のクロスから田中がHS


08/07 × 1st13 鹿島ア 駒場ス 0:2 

Sub:山岸、山田、室井、永井、阿部


08/10 × 1st14 名古屋 瑞穂陸 1:2 


08/17 × 1st15 J市原 駒場ス 1:2 


08/31 □ 2nd 1 サ広島 広島ビ 2:1


09/04 ○ N準々 柏レイ 駒場ス 1:0 通過


09/08 □ 2nd 2 ベ仙台 埼玉ス 1:0


09/14 ○ 2nd 3 J磐田 磐田ス 2:1


09/18 △ 2nd 4 柏レイ 駒場ス 1:1


09/21 ○ 2nd 5 コ札幌 札幌ド 2:1


09/28 □ 2nd 6 清水エ 埼玉ス 2:1


10/02 □ N準決 ガ大阪 万博記 3:2 通過


10/05 ○ 2nd 7 V神戸 駒場ス 3:0


10/12 ○ 2nd 8 京都パ 西京極 4:1


10/19 □ 2nd 9 名古屋 埼玉ス 2:1

この試合も含め11試合連続負け知らずで、Vゴール勝ちのこの試合後のピッチ上インタビューで福田がインタビュアーの質問に関係なく、サポーターに対して「負けないよ!!」と告げる。


10/23 × 2nd10 鹿島ア カシマ 1:2


10/27 ■ 2nd11 東京V 駒場ス 0:1


11/04 × N決勝 鹿島ア 国立競 0:1

相手のミドルシュートが井原の背中に当たって不運なゴールで敗れ、初のタイトルを逃す。


11/09 × 2nd12 J市原 国立競 0:1


11/16 × 2nd13 ガ大阪 駒場ス 0:1


11/24 ■ 2nd14 F東京 東京ス 0:1


11/30 × 2nd15 横浜M 駒場ス 0:1

暢久の出場停止で本職の右サイドに入った平川が素晴らしいパフォーマンス(コンチネンタルクラス)を見せるが負傷して離脱。試合には約3ヵ月後の3/22に登場しているが、このときのトップフォームに戻るのに時間を要している。


12/15 × 天3回 ア福岡 駒場ス 1:2 

J2チームに天皇杯初戦で敗退。結局、福田は選手在籍中では優勝できず。





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