2000年

2000/1/9 小野残留が決定
「小野は契約に当たり、海外へのスムーズな移籍への協力と代表日程の優先を条件とした。レッズ残留を選択した理由として、負傷の回復のためには治療者の継続が重要との認識を挙げた。」との報道
2000/1/23 アヤックスと対戦し引き分ける
日本時間の夜10時から、日蘭交流400周年記念イベントとしてアヤックスと対戦。体調不良の福田と日本代表合宿中の小野は参加せず。チキの引退試合として開催され、チキも参加。
2000/1/30 レッズの背番号が発表された。
レッズの背番号が発表された。
1田北、2山田、3ピクン、4土橋、5石井 6ペトロヴィッチ、7岡野 、8小野(主将)、9福田、 10福永、11永井、12西野、13大柴、14城定、15盛田、16西部、 17安藤、18広瀬、19内舘、20阿部、21室井、22土田、23田畑、24早川、25小島、26河合、27池田、28宮沢、29吉野、30千島、31鈴木、32高橋 、33路木

私としては、次の布陣を見たい。

           永井

     福田   小野   ペトロ

     路木   石井   山田

     室井   ピクン  池田

           西部          ←安藤もキックに難があるとの話

 上ではペトロが生きない。では

          永井

    福田   小野   岡野

       石井   ペトロ

    室井 路木 ピクン 山田

          西部
       
2000/2/5 カールスバーグ・カップ。小野冴えず

2000/2/8 カールスバーグ第2戦はベンチ外

2000/2/13 小野がシンガポール戦に出るが未だ不調
アジアカップ・2000レバノン大会1次予選シンガポール戦(マニラ)をTVで観る。小野は先発で出場し、沢登とともにトップ下に入るが、精細を欠く。試合で光ったのは中村俊輔。
2000/2/20 対マカオ戦の小野を観る。
 小野は日本代表の一員としてアジア・カップ2000予選でマカオと戦う。トルシエ3バック・システムの右サイド・ハーフでスタート。前半途中で攻撃的MFになる。
 右サイド・ハーフでは球を引き出す動きも見せていた。しかし、それも、パッサーの動きに反応してのこと。相手に合わせるという基本的スタンスは変わらず。自ら放つシュートも力なく(2本枠に飛ばず)、結局、日本代表では未だノーゴール。パスした直後にダッシュする姿は未だ観ることができない。
2000/2/21 小野が指宿に合流。明日から練習参加

2000/3/11 水戸ホーリーホックに2:0で勝つ
小野のプレイと岡野の速さに感激。
右奥でディフェンダーを前にした小野が、右へ速い球を出すと、2mほどで停止、そこからセンタリング、阿部が決めて1点。
右サイドのFKで小野が右へはたくと、走りこんだ山田がセンタリングして、ピクンがヘディング、バーに当たって跳ね返ったところを再度ピクンがヘディングして決める。
2000/3/19 湘南に2:1で逆転勝ち
 観に行こうとしたら、ローソンのロッピーでは売切れ。平塚競技場に11時に電話したところ、指定席は完売で、12時半売出し開始(試合開始14時)の当日券千枚に既に行列ができていて早く来ないと完売になると言うので、行くのを断念した。結局、完売だったようだ。
 試合は、湘南ベルマーレに1点先制されたが、後半に追いついて逆転勝ち。コーナーキックから内舘が蹴りこんで1点、ペトロのパスを受けた大柴がキーパーを交わして2点目。逆転勝ちは98年以来。
 これでJ2首位。
2000/3/25 大宮に1:0で勝ち3連勝で首位に
大柴がペナルティエリア内でドリブルしていたボールをキーパーに押さえられて倒れ、PKの判定を得る。
印象的なシーンを二つ。
 左サイドでディフェンダーを背負った岡野が自分とディフェンダーの頭を越すボールを出し、ディフェンダーを交わして突進したシーン。スタジアムがどよめいた。岡野もそういうことができるのか、という感じのどよめきだったと思う。この感じのどよめきが、ほかにもあった。
 後半ピッチに最初に登場したのは、並んで歩きながら話していたペトロと小野。遠目の印象では、ペトロが、「みんなの動きが足らないよ、もっと動くようにさせなきゃ」又は「あんなバカ(山田or審判)にはもっと言ってやんなきゃ駄目だよ」と、小野が、「まあまあ」、「俺から言っといたから後半は大丈夫だ。安心しろ」又は「J2はこんなものなんだ。がまんしてくれ」と言っているんじゃないかと想像した。最後は、右側を歩いていた小野がペトロの腰の辺りを左手でぽんと叩いて、円陣に備えた。キャプテンしているな、と思った。前半、真っ先にピッチを飛び出してきたのがペトロで、「もう、やってらんない」というだったので、後半は切れるんじゃないかと心配していたのだ。
 大宮の守備も印象的だった。レッズが最後尾でボールを回している間は、4人のディフェンダーと4人のMFが等間隔に並び、ボールに合わせて等間隔のまま右と左に移動する。きっと専門的な言い方があるのだろう・・。
2000/3/26 クビッツァが横浜FCとの練習試合でハットトリック

2000/3/28 小野が右足首の遊離軟骨(通称ネズミ)の除去手術

2000/3/30 鳥栖に7:0。クビッツァ登場
怪我のため小野、阿部、ペトロヴィッチ、ピクンが欠場だったが、永井、クビッツァ、岡野、永井、福田、福永、大柴と得点。
2000/4/2 3:0で甲府に勝つ

2000/4/3 (故障中の)小野が筋トレ開始

2000/4/6 小野が抜糸し、ウォーキング開始

2000/4/7 小野がランニング開始

2000/4/16 新潟に5:1と大勝

2000/4/23 仙台にVゴール勝ち

2000/4/26 小野が練習に合流

2000/5/3 小野が後半に出場。大分に2:1で勝つ。
18:33に大分戦がキックオフ。直後から、よくボールを奪い、相手を圧倒したゲームだった。
 最も印象的な場面は、小野の出場時の歓声。予備審判のところへ行ったときから、場内にざわめきが広がり、交代出場のため予備審判と並んでタッチラインに立つと歓声が起こった。二つのゴールの時を除いては一番の歓声ではなかったか。
 雨の影響を意識してかいつもよりボールを強く蹴っていたようで、パススピードがあったような気がする(いつもこの程度のパススピードが欲しい)。もっとも、内舘がいつもの置きに行くパスをして雨でへなちょこパスになってしまったシーンがあり、場内から(私の周囲だけ?)は失笑がもれた。
 よく相手ボールを奪い、中盤で前へ前へとボールが動いていくゲームで、また、大柴、岡野、福永と、スペースを狙って飛び出して行く選手が前に3人いると、ペトロが出し所に困ることも無く、彼の活躍が目立つ。さらに、効果的なサイドチェンジになるロングパスを正確に出せるのはペトロしかいない(山田も一本あったかな)ということもあって、ペトロ様様。
 しかし、冷静に考えると、1点目は相手がクリアしたボールが、たまたま永井の前に転がって、永井が蹴ったボールがたまたま岡野が精一杯伸ばした足に当たって、そこにいた大柴が蹴りこんだものだし(1点は1点なんだけど)、2点目は争奪したボールがたまたまペトロの前に出て、フリーのペトロが正確なクロスをあげることができただけ、という言い方も成り立つ。また、1失点は、レッズ最終ラインが意思疎通を欠いていることを象徴するかのような失点だった。
 その意味では、自虐的ではあるが、素直に喜べない勝利だった。
2000/5/7 山形に1:0で負け。小野は後半。
テレビ埼玉の録画中継を見ようとしてテレビを付けたら、開始直前のニュースで敗戦を知る。
中継を見た印象では、ゴールポストに当たったり、相手GKのスーパープレーなどもあり、アンラッキーな敗戦とも言える。しかし、相手もフリーのシュートを外したり、田北のスーパープレーもあったりして相手にとってもアンラッキーな試合展開。失点は、CKからクリアしたボールを相手に拾われ、DFラインが上がった後のスペースに放り込まれたこと、西野の上がりがやや遅れたことから生じた。
後半開始から出場の小野は楽しそうにプレーしていた。前にもよく飛び出しフリーでシュートする機会もあったが、シュートコースにスライディングで飛び込んで来た選手が目に入ったのか、上にを外した。ゴールを直接狙えるFKの機会もあったが、上に外した。
2000/5/17 小野が肉離れと判明。全治1箇月
 14日の水戸戦でプレーしたが、ピッチ状態が悪かったこともあり、「左足が合宿をしたときみたいに張っている」と違和感を訴えていた。その後は通常の調整を行っていたが、17日の練習後、川口市内の病院で仁賀チームドクターの診断を受けた結果、肉離れが判明
2000/5/18 湘南に2:0で勝つ。
満月の夜だった。永井が一人で持ち込んで素晴らしいゴールを奪う。

 パス交換の動きで相手の最終ラインを突破するという意図は明確に表現されたゲームだった。それも、3人目を意識したパス交換が随所に観られ、プロのチームらしくなってきたと思う。ただ、パス交換からシュートまでいくものはあっても、ゴールにつながったものが無かったのは残念だった。ゴールは、クビツァのキープ力が生んだPKと、そのPKで消極的になり、試合開始から頻繁に走り込んでくる大柴やペトロへの対応で消耗もしていた相手DFを強引に抜いた永井のドリブル力が生んだ個人技の2ゴールだった。
 クビツァ(1点)のコールが鳴り響くのを、私は初めて聞いた。だんだん、周囲と合ってきたような気がする。それとも、大柴、阿部の動きが良かったということなんだろうか。
 ゲームで印象に残っているシーンは、クビツァが中央へ寄っていってできた右サイドのスペースへ力強いステップで走り込んでいくペトロ(1点)。逆サイドからのロングパスは、精度を欠くものもあったと思うが、迫力満点だった。
 湘南がロングボールが多かったような気がするのは、相手の動きに機敏に反応していた石井をはじめ、ディフェンスが機能していたということか。それでも、PKを含めて湘南のミスに助けられた試合という感じもある。
2000/5/22 A大宮0:6で勝つ。
ビデオで観た。
きれいな得点が多かった。流れから崩す得点。贅沢を言えば、細かく速いパスをつないでの得点は無かった。逆襲気味の得点や、ロングパスからの得点だった。それでも良い。すなおに喜ぼう。
2000/6/1 A甲府に0:3で勝ったらしい

2000/6/11 1:6で新潟に敗れる。

2000/7/1 山形に2:0で勝利。小野がミドルSの得点。
 山形戦で印象に残っているのは、ピクンと小野の関係。バック・ラインで回しているボールがピクンに行くときに、小野がピクンに軽く手を挙げて右奥のスペースへ走り出し、ピクンから送りこまれるというシーンが、前半、2度ほどあった。残念ながら、未だピクンは本調子ではないようだったが、小野(1点)に走り出す気を起こさせるだけのパスの精度がピクンにはある、ということなんだろう。ピクン以外の人間にボールが行くと、要求するのは最前線で手を挙げるアンジーだけになってしまい、ボールが来ても3人で組織的に囲まれてキープできないという場面が多かった気がする(大柴もボールを引き出そうとする動きはしていたと思うが)。その意味で、ペトロに早く復帰して欲しい。
 今日の中盤の守備は安心してみていることが出来た。守備時は4−1−3−2のイメージで、阿部(1点)・小野・永井が攻撃時にチェンジしたポジションのまま下がり、スペースを意識した守備をしていた。特に、永井が(代表落ちのショックから?)精神的に安定してきたようで、ひところのセンターライン付近での無意味なドリブルがなくなってきていたし、守備意識も高かった。
2000/7/9 鳥栖に2:0で敗れる

2000/7/22 対甲府戦で小野が負傷
コイントスで勝った小野はバックスタンドのフラッグを見て風上を選択した。
前半はロングパスをクビツァに当てることがほとんど無かった(ピクンからの1本だけかな)。風上のせいなのか、あらかじめの約束なのか。ショートパスをつないでシュートチャンスを狙うとする意思が感じられた。
後半はクビツァに当てようとするシーンが多く観られた。
後半の途中、右サイドのペトロがセンターサークル付近を指差しながら監督に何かを尋ね、山田も隣で同じポーズで監督に確認していた。何だったんだろう。
暑さで集中を欠いているせいか、体が動かないせいか、双方ともに凡ミスが多い試合だった。岡野のスピードも怪我の前より遅いような気がした。
相手に取られたボールを小野がいらだったように奪いにいき、負傷。両足を抱えて転げまわる。トレーナーのバツ印に場内がどよめく。小野は痛さの余りか、キャプテンマークを外すのを忘れたまま、担ぎ出される(結局、ゲーム終了まで誰も付けず)。それでも、担架に横たわった状態で差し出されたドリンクを受け取ったので一安心。
公式サイトでは、小野は右足首捻挫とのこと。スーパーサッカーでも笑顔を見せていたが、9月まで無理せずに静養してほしい。
2000/8/16 小野がUAE戦に先発出場

2000/8/19 大分に4:1で勝ち、2位をキープ
印象に残ったこと:セットプレーで最後尾にいた山田から最前線の左サイドにいた小野へ素晴らしいパスが出たこと
 危ない場面も何度かあり、相手の決定力不足に救われた。それでも、前半の運動量から見て、レッズの勝利疑い無し、としてチームが負けているなァ。

○攻撃時は、3トップ気味
      クビツァ
永井           岡野
       小野
  石井       山田
              河合

  内舘  路木  ピクン

*1度、左サイドへ走りこんだ石井にボールが供給され、奥へ突破した内舘へ素晴らしいパスが通った(折り返せず)。
*ボールを引き出すフリーランニングができない永井は、ボールに寄って来るだけで終始し、組織攻撃には機能せず。しかし、2得点。
*終盤、クビツァに替えて盛田を出したが、相変わらず、見るべきもの無し。要するにJFLレベルの人間だということ。それを見抜けずに採ったGMもJFLの感覚で仕事をしているということだろう。
○守備時は、1トップ、ダブル・ボランチ、4バック

       クビツァ

  永井   小野    岡野

     石井    河合

内舘             山田
      路木  ピクン

 永井と岡野が大分の大きなサイドチェンジをケアしていたし、サイドに出たボールはサイドバックが当たりに行くのではなく、ボランチが当たりに行くようにし、サイドバックは最終ラインをケアしていた。または、マン・マークに近い形で守備していた。
2000/9/2 水戸に3:2でVゴール勝ち
 永井に替わって吉野が入り、Vゴールを決めたが、彼の守備意識の低さがどうも気になる。逆サイでの攻防だと、ハーフウェイ付近でたたずんでいる光景を見かけた。強い相手だと失点のきっかけになりかねない。怖い。
2000/9/9 湘南に0:2で勝った模様

2000/9/16 ペトロさよなら試合を0:1で負ける。
試合前、出場停止のピクンがユニホーム姿になってペトロヴィッチと写真を撮る。練習着のペトロがわざわざスタッフが持ってきたユニホームに着替える。 試合は、シュートを外し続けるレッズが敗れる。
2000/9/18 アジエル獲得を発表

2000/9/28 札幌に1:2延長負け。
仕事を持ち帰ることにして、駒場へ行き、後半開始に間に合う。延長に入ったので帰途についたら、負けてしまった。
小野は出ていたが、未だ本調子ではない。
アジエルは良い選手だ。レッズのスカウト能力は高い。
2000/10/1 鳥栖に4:2で負ける。

2000/10/3 横山GMが総監督に就任 「総監督に横山謙三GMが就任 浦和レッズはJ1復帰のためクラブの総力をあげて闘っていくために、総監督に横山謙三ゼネラルマネージャーが就任し、本日の練習及び次節の対ベガルタ仙台戦から指揮をとることになりましたので、ご連絡申し上げます。」 2000/10/6 フラビオがフィジカルコーチとして加入

2000/10/14 小野はサウジ戦後半に出て1得点

2000/11/19 鳥栖戦。一人少ない状況で正樹のVゴール。J1復帰決定
気合が入り過ぎてチケットを忘れていることに気付かずに浦和に到着し、レッド・ボルテージで観戦。 小野はJ1復帰の酒断ちをしていたこと判明。
2000/12/5 チッタ監督決定

2000/12/27 小野が契約更改
この時点で西野、西部、石井、山田、河合、鈴木、千島、早川、小島、福永、内舘、安藤、池田、城定、田畑土橋、室井、小野、吉野。
2000/12/28 福田、永井も契約
 ほかに新人が、渡辺 隆正、西村 卓朗、山岸 範宏、田中 達也


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